自家焙煎したブレンドコーヒーを飲んでみた

2017/10/27

自家焙煎したブレンドコーヒーを飲んでみた。

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こちらが生豆。

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こちらが焙煎後のコーヒー豆。
今回はフライパンでモカクイーンを40分焙煎の深煎りと30分焙煎の2種類、コロンビアを20分焙煎した。
前後にレンジ4分も使用。

モカクイーン(40分版)とコロンビアをブレンドしてまずはペーパードリップで飲んでみた。
香りは深煎りの香りと爽やかな香りである。しかしどこか青臭い香りもする。
味は苦味がウマイがもう少し濃い方が良いかもしれない。
甘みが結構ある。
酸味はほとんどない。
個人的には少しイマイチの出来だ。
冷めてくると苦味が強くなってきてウマイが香りがダメだ。

両方の豆をレンジで4分追加焙煎して、ペーパードリップで飲んでみた。
青臭い感じは減ってきて、まったりした落ち着いた味になった。
酸味と苦味のバランスが良い。
特に目立ったところはない普通のコーヒーになった。
しかし少し油分と豆の趣があってしつこい味だ。
バランスは良くてコンビニコーヒーと同等のレベル。
冷めてくると苦味が強くなってきた。あと新鮮さがなくなってどんよりしてきた。
そもそもモカクイーンの香りが爽やかすぎるので深煎りとこの組み合わせには向いていないのだ。
焙煎30分版も同じ結果だと思うので又今度にする予定。


追記

30分版をペーパードリップで飲んでみた。
香りは深煎りの香りと爽やかな香りである。しかしどことなく少し青臭い。
味は丁度よいバランスで苦味がウマイ。
40分版よりは飲みやすい印象であった。
しかし両方共クセのある味である。

無と非構造体、カオスと世界が始まる前について

2017/10/26

自著の哲学的エッセイ本から適当に抜粋

我々が眠りにつくと意識に無が生じる。つまり有のこの世界に無が存在するということになる。
無はなにもないから無であり構造がないということになる。ということは非構造体である可能性があり構造体の中に非構造体がある事になる。
或いは非構造体ではなく、無に見えるような限りなく無に近い構造体及び構造状態であるかもしれない。

この世界は0と1で出来ているのだろうか。無から有になったことを0と1に例えるとわかりやすいが、無から有になるには時間が必要である。
時間が経過することで0から1に変化または増える。その後それの繰り返しなら01010101と同じように繰り返すだけで複雑な世界にはならないはずである。
つまりこの世界が複雑な世界になったのは、なんらかの規則で0と1がランダムのように並ぶようになっているからだ。
後はランダムのように並んだ0と1を我々がどう観るかで世界がどう観えるかが決まり、又それによって様々な物理的法則が生まれるのである。

この世界が出来る前の無の状態であるとする。この世界の時間が経過すると何か物質が出てきて、無(0)から有(1)になり、その変化を記すと01という並びになる。
問題は01の次の並びはどうなるのかだ。0101と同じように繰り返すのか、0111となるのか0100となるのか0110となるのか。
とりあえず01の次がどうなるかを決める法則があるとする。その法則がこの世界を複雑にしていると考えられる。
ではその法則はどうやって0と1だけで生まれたのだろうか。01の次がどうなるかを決める法則を生み出すには01の次がくる前に次を決める法則が01の世界に存在していないといけない事になる。そもそも時間や物質を動かすにも作るにもエネルギーが必要である。
この事から考えると、この世界には外の世界があり、外の世界から影響を与えられていると考えられる。時間の流れも外の世界と関係しているかもしれない。
無であった所に有を追加していかなければならない。その追加する順番で複雑化する法則が決まるのか、追加した後の物理的な操作又は変化によって複雑化する法則が決まるのか。
しかしこの世界の始まりが無から有になったからとは限らない。はじめから全て存在していたとも考えられる。

無は非構造体だろうか。何も感じないし無いのだから構造もないので非構造ということになる。
ということは構造体の中に非構造が存在できる事になる。
“無い”という事実が”有る”のである。
この世界がなぜこれほど複雑なのかは、この世界が始まる前に関係していると思うのだが、その世界がどのようなものだったのかは全く不明である。
宇宙の誕生する前の話である。

本当の現実の世界とは何かという哲学的問題

2017/10/26

自著の哲学的エッセイ本から適当に抜粋

数学的に現実の仕組みを解明させても数学の世界でしか解明されていないことになる。
哲学で解明すれば哲学の世界でしかない。物理学で解明しても言語で解明してもその世界でしかない。
全てを生み出しているのは自分だとしたら自分を解明すれば世界は解明される。
しかしそれでもそれは自分の世界でしかないのかもしれない。外の世界がある可能性がある。
本当の現実はどうやっても解明できないのかもしれない。

我々は意識があると認識することで有ると認識するし、意識がない時は認識できない。それは意識の領域内での認識であり、意識を超えて有るとか無いとか言う事が出来ない。
例えば寝ている時は意識がなく記憶も無いので無と認識、考えられるが、現実の世界では寝ている肉体が存在していて無いのではなく有るのである。

あるものを言語化しているものは言語の領域を出られず、あるものそのものを知ることが出来ない。

いつか遠い未来の科学技術で本当の現実の世界を知ることが出来るのだろうか?