CAFE BRICCOのホットブレンドコーヒーを飲んでみた。
香りはスパイシーで香ばしい良い香りだ。
味はビターな苦味強めの酸味控えめだ。
渋みと苦みが強くてかなり美味い。
焦がしたようなロースト感のある余韻まで長く残る苦味だ。
これがかなり香ばしい。
そしてスパイシーでキラキラ感が感じられコクも強く後味が長く残り満足感が高い。
それでいてまろやかさがありマイルド。
これで250円とコスパ最強のコーヒーである。
オススメだ。
香りはスパイシーで香ばしい良い香りだ。
味はビターな苦味強めの酸味控えめだ。
渋みと苦みが強くてかなり美味い。
焦がしたようなロースト感のある余韻まで長く残る苦味だ。
これがかなり香ばしい。
そしてスパイシーでキラキラ感が感じられコクも強く後味が長く残り満足感が高い。
それでいてまろやかさがありマイルド。
これで250円とコスパ最強のコーヒーである。
オススメだ。
連続体仮説とは、まず無限の話からしなればならない。
連続体とは数の連続の集まりの事である。
簡単で有名なものとして例えれば”時間と命がある限りは数えられる無限”と”永遠に最後まで数えられない無限”のふたつがあることだ。
1,2,3,4,5,…と数えられるのを可能無限(数えられる可能性がある無限)という。
πなどの3.141592…と最後まで分からないが無限であるものを実無限(マジの無限)という。
このふたつ(厳密には違う無限)のほかにも中間の無限や様々な種類の無限があるのではないかという議論があった。
それが存在しないと言う仮説が連続体仮説である。
ジェネリックフィルターとはその仮説を証明するために利用するものであり、何か別のものを付け加える事により証明している。
とりあえずこれによりこの連続体仮説が正しいともできるし間違いだともできるようになるものだと思うとわかりやすい。
両方とも存在する事にできる。
いわば公理によってそれは決まるのであるという結論である。
公理とは証明を必要としない一般的に認められている前提の事だ。
なぜ証明の必要がないかというと、公理の証明をすると新たな公理が必要になり無限後退に陥るからだ。
それでは成り立たないという事で無理やり強制的に決めているものである。
ちなみに定理とは公理の中に存在するもので、公理に従って論理的に証明された命題のことである。
公理が変われば定理は成り立たなくなる場合がある。
これらは仏教でいう観念とよく似ている。
観念とはものの考え方であり、その人の妄想いわば決めつけである。
この決めつけがないとミュンヒハウゼンのトリレンマ(無限に理由の理由を探すことになる無限後退や、循環論法などのこと)に陥り論理的に論破する事が不可能になる。
ということは決めつけを変えてしまえばなんとでもなるというのが観念である。
仏教ではこの世界は妄想の世界であるとされている。
この妄想という決めつけた公理を観念によって書き換えてしまえば自由自在に操れるようになるという事である。
そのためにはこの妄想の公理を生み出している潜在意識である阿頼耶識にアクセスする必要がある。
それは瞑想などによってアクセス可能であるとされている。
観念や考え方次第で世界が大きく変わるのである。
病は気からと言うように煩悩という悩み苦しみは気持ちや心や考え方から生じている。
心頭滅却すれば火もまた涼しという名言があるように観念で変化するのである。
例えば身近なものではネガティブな事を考えると暗く苦しくなりポジティブな事を考えれば元気で苦しくなくなるように気持ちが精神に影響を与え肉体が実際に行動に移し現実世界に影響を与えて世界が変化するのである。
それらは相互的に影響を与えていてこの世界が成り立っている。
アクションとリアクションの関係である。
簡単に言ってみれば”君たちはどう生きるか”である。
以下友人との会話で思いついたネタをAIがまとめて解説したもの。
精神・宇宙・悟りを巡る仮説的考察:私たちの意識と宇宙のつながり
精神と神の関係
「精神」という言葉に含まれる「精」とは、「生命」や「精密」といった意味を持つ言葉です。この「精」とは、精巧であり個別的な存在としての人間そのものを表していると言えます。一方、「神」はそのまま神を指しますが、ここではより広義に「宇宙そのもの」として解釈します。仏教においても、宇宙全体を仏と捉える考え方があります。つまり、個々の人間は、宇宙や神、仏の精密な分身であると仮説付けられるのです。この考え方は、哲学や精神分析学で言われる「集合意識」の概念と通じるものがあります。密教の教えでも「すべての存在は仏の化身であり、互いに影響し合いながら相互作用している」とされています。
自我の拡張とワンネスへの道
通常、私たちの自我(エゴ)は、自分の肉体や心に限定されていると考えがちです。しかし、他者の気持ちを理解したり、共感したりする行為は、自我が拡張している例と言えます。この自我の拡張がさらに広がり、宇宙全体と一体化する状態が「ワンネス(oneness)」です。密教では、このワンネスを目指すことで宇宙の真理を知り、全てを操ることができる境地に達すると教えられています。この状態では、全てが可能となり、悩みや苦しみが消失します。これが仏教で言う「空(くう)」の概念に繋がります。空とは、すべてが無限の可能性を秘めた状態であり、物質的・精神的な執着から解放された状態を指します。
潜在意識と精神分裂の仮説
私たちが考えたり話したりする「ネタ」がどこから湧き出るのかを考えると、「潜在意識」という別の層の存在が浮かび上がります。脳科学的にも、脳内には複数の意識が存在すると考えられています。この潜在意識が分裂し、聴覚を司る神経回路と接続してしまうことが、幻聴や統合失調症の原因である可能性があります。かつて統合失調症は「精神分裂病」と呼ばれたこともありました。これは、分裂した精神が統合されずにバラバラになっている状態を指しています。仏教では、世界のすべてが阿頼耶識(あらやしき)という潜在意識から生み出されているという説もあります。
量子物理学と仏教の交差点
量子物理学における「量子もつれ」という現象は、遠隔地の物体同士が瞬時に影響を及ぼし合う現象です。これが、人々が遠隔で影響を与え合う可能性を示唆しているとも考えられます。また、宇宙空間は物質やエネルギーで満たされており、私たちは常に互いに影響を与え合っています。仏教で言う「縁起」は、このような繋がりと因果関係を表す言葉です。さらに、霊や精神体は素粒子の集合体としても捉えられ、宇宙そのものとしても考えられます。意識がどこに焦点を当てるか、そしてその観念がどのように形成されるかが、私たちの世界観を大きく左右するのです。
観念が世界を変える
良い観念を持てば、世界は天国のようなものとなり、悪い観念を持てば地獄のようなものになります。この「観念」のあり方が非常に重要です。そのため、瞑想などを通じて精神を統一し、自我を拡大して他者を理解し、多様なものを受け入れることが重要だと考えられます。このような取り組みを通じて得られるのが「悟り」による智慧です。悟りとは、宇宙や自分自身を深く理解することであり、私たちの生き方に新たな可能性をもたらしてくれるものです。
まとめ
精神と宇宙、仏教と量子物理学の交点を考えることで、私たちの意識や観念がいかに世界に影響を与えるかを垣間見ることができます。瞑想や自己探求を通じて、この壮大なつながりを理解し、より良い生き方を模索してみてはいかがでしょうか。