RewriteData(Affeine)での音質変化検証

2017/10/09

RewriteData(Affeine)での音質変化を検証してみた。

電子ビットの帯磁性改善ソフトウェアというもので、
ソフトについてはこちらを見て欲しい。
処理の仕方にMMX、SSE、MMXx2、High MMX、High SSE、High MMX x2、High Auto、High Auto x2、NFXがある。
これらの処理を音楽ファイルにすると音質が変化するのだ。
これらの音質の変化をfoobar2000で再生して検証してみたい。
まずは外付けDACやASIOは使用しないでパソコンのイヤホンジャックに直接挿す方法で試した。

処理なしの場合
まずRewriteしていないファイルの音質をチェックした。
ノイジー
高域が控えめであまり聴こえない。
低音が強めで温もりがありボーカルがリアル。

High Auto
明らかに処理前と差がある。
ノイズがないクリーンな音質になった。
高域が出てクリアになった。
解像度が上がって細かい音が聴こえるようになった。
スピード感がある。
ただし低音が軽くなった。
ボーカルに厚みがない。

MMX
Autoほどクリアではない。
処理前より高域が出なくなりこもった感じがする。
ただボーカルに厚みがあってリアルに聴こえる。
あと妙に気迫というか空気感を感じる。
低域がタイトで心地いい。

SSE
高域が強くなった。
リップ音などの細かい音が聴こえるようになった。ただし少しノイジーな感じはある。
Autoほどボーカルにリアリティーはない。
全体的には軽い音質だ。

MMXx2
少し高域が強くなった。
細かい音が聴こえるようになってかなりボーカルがリアルに聴こえる。
処理前はボロボロのボーカルだがこちらは完成したボーカルだ。
かなり気迫を感じる音質だ。
MMXより気迫を感じる。
全体的にシンクロ率が高くて、音楽的に楽しく聴こえる。

High MMX
MMXx2より更にボーカルがリアルになって完成している。
低域もよりタイトで強くなった気がする。
高域は少し控えめかもしれない。
Autoより良い音質だ。

High SSE
High MMXより色気がある。ボーカルにすごい色気を感じるのでリアルだ。
ただしHigh MMXで聴こえていた細かい音が聴こえなくなっている。
これはノイズが消えたのかそうではないのかよくわからない。
クリーンな感じにはなるがレコーディング時のノイズが聴こえないという事ならマニアには向いていない。

High MMX x2
高域はHigh MMXより控えめ。
スピード感が高くてクリーンな印象。
低域がHigh MMXより強めでタイトだ。
ただ細かい音があまり聴こえない気がする。
処理前のほうが細かい音が聴こえる。ノイズかもしれないが。
臨場感というか空気感はある。その場の空気感だ。

High Auto x2
High Autoより解像度が上がって細かい音が聴こえる。
全体的に音が完成している。クリーンな音質。
High Autoより少しボーカルがリアルに聴こえる。
ただしHigh Autoで聴こえていた細かい音が聴こえないのだが、
ノイズになっていた音が昇華されて、リアリティーになったような感じがする。
High Autoよりは良い音質だが処理前の方が細かい音が聴こえていた感じがする。
こちらはノイズが聴こえないのだ。

NFX
処理前よりシャリシャリした音質になった。
ボーカルの舌の動きが感じられる。リアルである。気迫も十分感じられる。
High Auto x2よりリアルである。しかもクリーンである。
シンクロ率も高く音楽的に楽しい。
聴いていてかなり心地よい音質だ。
ただし気迫が強すぎて聴いていて疲れやすいかもしれない。

まとめ

結果的に私の感じだと、
NFX>High Auto x2>High SSE
の順番でNFXが一番高音質だと感じた。
SSEは聴いていて疲れにくい。

再生ソフトやパソコンの種類やスピーカーやヘッドホンによって音質が違うので注意。
そのうちDACとASIOを通して検証してみようと思う。

世界が生まれる前には何が有ったのか

2017/10/08

自著の哲学的エッセイ本から適当に抜粋

私の考えでは、この世界には無限に全てが存在しており、ある構造体(精神)がその全てから一部切り取ってそれに意味付けがされることで認知される。
問題はその全てとはそもそもなんであるかだ。
そしてもうひとつは、その全ては最初からあったものなのか、それとも長い年月を経て生み出されたものなのか。
後者だとすると無の空間が存在してたことになる。
その無とはどんなものであるか。

そもそも本当にこの世界には全てが存在しているのか疑問である。
今見ている現実の世界には感じたり測定できるものしか存在していない。
しかしそれはその測定器や感覚器官がそれだけしか感知しないからではないだろうか。
幻覚などでは様々なものが出現してくる。
そういう意味で全てが存在している可能性はあるということだろう。

その全てとは一体何なのか。未だによくわからない。
そしてそれは最初からあったのか後から生まれたのかどうか。
この世界が生まれる前は無であるとされている。
無から有は生まれない。有の世界から無の世界に何らかの手を加えて有にしたと考えられる。
つまり無の世界の外は有であった可能性がある。
この2つの世界を同じ世界と捉えれば、有だったとも言える。
そして有の世界が生まれる前もまた外の世界が有だったかもしれない。
それが無限に繰り返されるのだろうか。
よくわからない。

矛盾する事は実現可能かという哲学的問題

2017/10/07

自著の哲学的エッセイ本から適当に抜粋

この世界をすべて考え尽くして答えが出たらそれは全知全能の神に等しい答えが出る。
どうすればどうなるか全て知っている状態。
しかしなんでも知っていたとしても矛盾することや無理なことはできないだろう。

神は全知全能でも矛盾するような事はできない。
全能なのに本当に出来ないのだろうか?
この前の記事の、はじめての時間にはもどれないというのも実現できそうにないし、
そもそも矛盾とは何故出現するのか。
まったく不明である。
生きながら死に続けるとか矛盾しているが、文章にすることは出来る。
現実の世界、物理的な世界では不可能なわけで、仮想の文章の世界では実現できるのだ。
しかし現実の世界で実行しようとするとどうしても矛盾するのでできないのだ。
物理が伴ってくるからである。
現実の世界の物理というのもなんなのかよくわからない。

文章とは、この世界を見て感じてそれを表現しているのでそれ以上の事は表現できない。
つまり本当の現実の世界を表現することは出来ないのだ。
文の世界の中でしか無い。
何か超越した世界や拡張された世界なら矛盾した事が可能になるかもしれないが、
この現実の世界の中でそれを実現しようとするのは矛盾しているのでできない。
どうしてもこの現実の世界では矛盾した事ができないのだろうか。