君たちはどう生きるか、連続体仮説とジェネリックフィルターから見る観念について【哲学・数学・スピリチュアル・仏教密教・瞑想・マルチバース・多世界・非構造体・完全自由空間】

2024/12/10


連続体仮説とは、まず無限の話からしなればならない。
連続体とは数の連続の集まりの事である。
簡単で有名なものとして例えれば”時間と命がある限りは数えられる無限”と”永遠に最後まで数えられない無限”のふたつがあることだ。
1,2,3,4,5,…と数えられるのを可能無限(数えられる可能性がある無限)という。
πなどの3.141592…と最後まで分からないが無限であるものを実無限(マジの無限)という。
このふたつ(厳密には違う無限)のほかにも中間の無限や様々な種類の無限があるのではないかという議論があった。
それが存在しないと言う仮説が連続体仮説である。
ジェネリックフィルターとはその仮説を証明するために利用するものであり、何か別のものを付け加える事により証明している。
とりあえずこれによりこの連続体仮説が正しいともできるし間違いだともできるようになるものだと思うとわかりやすい。
両方とも存在する事にできる。
いわば公理によってそれは決まるのであるという結論である。
公理とは証明を必要としない一般的に認められている前提の事だ。
なぜ証明の必要がないかというと、公理の証明をすると新たな公理が必要になり無限後退に陥るからだ。
それでは成り立たないという事で無理やり強制的に決めているものである。
ちなみに定理とは公理の中に存在するもので、公理に従って論理的に証明された命題のことである。
公理が変われば定理は成り立たなくなる場合がある。
これらは仏教でいう観念とよく似ている。
観念とはものの考え方であり、その人の妄想いわば決めつけである。
この決めつけがないとミュンヒハウゼンのトリレンマ(無限に理由の理由を探すことになる無限後退や、循環論法などのこと)に陥り論理的に論破する事が不可能になる。
ということは決めつけを変えてしまえばなんとでもなるというのが観念である。
仏教ではこの世界は妄想の世界であるとされている。
この妄想という決めつけた公理を観念によって書き換えてしまえば自由自在に操れるようになるという事である。
そのためにはこの妄想の公理を生み出している潜在意識である阿頼耶識にアクセスする必要がある。
それは瞑想などによってアクセス可能であるとされている。
観念や考え方次第で世界が大きく変わるのである。
病は気からと言うように煩悩という悩み苦しみは気持ちや心や考え方から生じている。
心頭滅却すれば火もまた涼しという名言があるように観念で変化するのである。
例えば身近なものではネガティブな事を考えると暗く苦しくなりポジティブな事を考えれば元気で苦しくなくなるように気持ちが精神に影響を与え肉体が実際に行動に移し現実世界に影響を与えて世界が変化するのである。
それらは相互的に影響を与えていてこの世界が成り立っている。
アクションとリアクションの関係である。
簡単に言ってみれば”君たちはどう生きるか”である。

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