意識と認知は違うものである【仏教入門・仏教密教・哲学・スピリチュアル・無常・無我・瞑想・悟り・空・涅槃・阿摩羅識・無垢・あるがまま・真如】

2025/01/24


意識とは我々が何か想ったり考えたりするものである。
自分が自分であることを意識することで意識また自我が生じる。
しかしこの意識がない無我の状態になれば認知のみになる。
いわば感じるのみになるのだが、認知とは実際は感じる事もない知ると言う事のみである。
知る事を認めると書く。
悟りで得られる知恵の知とは知るという体験なのかもしれない。
それはこの世界が無常であり空である事を知るという体験であり、この知った知恵(智慧)は実質的に空や無情と同じであると言える。
智慧とは真理を知ることである。
つまり知ったことをありのまま認める事である。
十二縁起でいえば、
無明(無知)




となるが無知の部分まで戻って知るとすれば無知は解決するという事がこの記事の重要なテーマである。

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