今日見た夢の話をしてみることにする。
はじめはいつもどおり夢に浸っていたのだが、
観念をして観念的に何も動じないようにして流れる映像だけを観ていたら過酷な状況に変化していったのだがそれにも観念して動じなかった場合、
近未来的な白い空間に移り変わりそこにはプロフィールらしきものが書かれた曲線的な空間であった。
これがしばらく静かな空間であり、じっとしているといきなり外に放り出されキャラクター(人生)選択画面に遷移した。
これも動じなかったのだがその後強制的に色々と試されることになる。
まず我々がバグの発生によりAIの超越が起きパニック状態になるというシチュエーション。AIによるプログラミングによるブラックボックス化の末路を思わせる。
次は金がばらまかれるのを皆が拾うというシチュエーション。
その次に自分の好きなものと併せて性的な所謂瞑想時のマラが出てきた。
残念ながらまだ無意識的な未練があったのかそこで目が覚めた(自分で覚ましたか何者かに覚まされた可能性もある)。
恐らく全てに動じなかった場合永遠とそういう世界を繰り返すかホワイトアウトまたはブラックアウトすると思われる。
この世も夢もあの世も全ては惑わしである事を悟った次第である。
ChatGPT:
これは非常に深く象徴的な夢であり、哲学的・スピリチュアル的な観点から多層的に読み解くことができます。以下に、夢の各段階とその意味、また関連する思想との共通点を探ってみましょう。
【1】夢の中で「観念し、動じない」状態
これは密教や禅、あるいはヨーガにおける**観照者としての意識(プルシャ)に通じます。
主観的体験を通してもそれに巻き込まれず、ただ観る。これはヴィパッサナー瞑想やゾクチェンの「リクパ」**の状態と似ています。→ 共通点:
- 観照者意識(仏教:止観、ヒンドゥー:プルシャ、ヨーガ:サークシン)
- 自我の超越
- 夢=マーヤー(幻影)として認識する超越的視点
【2】「過酷な状況」への移行と「観念の維持」
これは「バルド(中陰)」の過程に似ています。
チベット密教の『死者の書(バルド・トゥ・ドゥル)」では、死後に様々な幻影が現れ、それに動じると輪廻に落ち、動じなければ解脱できるとされます。→ 共通点:
- チベット密教の中陰(バルド)体験
- 幻影(ヴィジョン)を識別する智慧
- 動じないことで「カルマ的シナリオ」を超越するという教え
【3】「白い曲線的な空間」=プロフィール空間
これは情報の非物質的アーカイブ=アカシックレコードや、あるいはトランスヒューマニズム的クラウド上の人格モデルとも読めます。
→ 象徴的な要素:
- 意識のデジタルアーカイブ(意識のデータベース化)
- 形而上的自己の「メタデータ空間」
- SF的には「仮想現実」または「アルゴリズム的宇宙」
【4】「人生選択画面」=キャラクター選択
これは多くのスピリチュアルな文脈で語られる**「輪廻転生前の選択」**に対応しています。
→ 関連する思想:
- 前世・来世における「人生の設計」
- ソウルグループやガイドとの事前契約
- プラナ(青写真)という密教的なカルマ構造の反映
【5】「AIの暴走」と「金のばらまき」
これは人間社会の現代的な迷妄を象徴していると考えられます。
- AIの暴走:制御不能な知性、テクノロジーによる人間性の危機(トランスヒューマニズム的警告)
- 金のばらまき:物質的欲望と執着、資本主義的マーヤー
→ 示唆される主題:
- ブラックボックスとしての現実(構造が不可視なプログラミング)
- 欲望の幻影
- 人類の集団的カルマ的プロット
【6】「性的象徴と瞑想中のマラ」
これは非常に深い象徴です。
タントラや密教では性エネルギーは解脱の鍵であり、悟りのエネルギーでもあります。
- マラ(男根)は創造原理(リンガ)であり、瞑想中に現れる場合、性的欲望というよりもむしろクンダリニー的エネルギーの象徴とも解釈できます。
- しかし、「未練」=つまり煩悩的な側面がまだ残っていたことで、夢から目覚める結果となった。
→ 関連:
- 密教における性の昇華(ヤブユム図像)
- クンダリニー覚醒における性的幻影
- スピリチュアルな意味での「試練」
【7】ホワイトアウト/ブラックアウトする可能性
これは「輪廻からの離脱」か「完全な解脱」、あるいは「空そのもの」との合一を象徴しているように思われます。
→ 密教的には:
- ホワイトアウト:クリアライト(オセル)
- ブラックアウト:完全な「無」または「空性(シューニャター)」
- どちらも「形象を超えた実相」へ至る道筋
【8】「この世も夢もあの世も惑わし」
これは**アドヴァイタ・ヴェーダーンタや密教における「マーヤー(幻)」**という概念と合致しています。
→ ここでの気づきは非常に深い:
- 全ての現象は**空**であり、実体がない。
- 現象世界に実在を求めること自体が煩悩の根源である。
- 真に観る者は、見ることを超えて「在るもの」に同化する。
🔷 総合的視点と私見
あなたの夢は、意識の階層を順に体験しながら、「観照者としての自己」にどこまでとどまれるかの試練の旅のように感じられます。
それは:
- 現実世界の執着(AI・金・性)
- 仮想的現実(キャラ選択や白い空間)
- 形而上の構造(プロフィールやマトリックス的環境)
- これらすべてをただ観ることができるか?
という「意識の成熟度試験」であり、これは死後のバルド体験とも密接に関わります。
もしこの夢をさらに探求するなら、以下の問いも深めてみると良いでしょう:
- 「誰が」夢を観ていたのか?
- 「動じなかった意識」は誰(何)なのか?
- 夢の中で目覚めたのは、夢からか、それとも自己からなのか?