「何かのせい」にする無限ループの正体
「何かのせいにしても、また別の何かのせいにすることになる。
それが無限にループするのである。」この言葉は、人間の深層心理と集合的無意識、そして仏教哲学における“執着”や“無明”という観念の核心をついています。今回は、この無限ループの構造とその背後にある精神のメカニズムについて、多角的に考察していきましょう。
■ なぜ人は「何かのせい」にしたがるのか?
「自分が悪いのではない、あれのせいだ」「こんな社会が悪い」「あの人のせいで私はこうなった」。
私たちは日常的に、原因を外部に求めようとする傾向があります。この傾向は、心理学でいう「外的帰属」によって説明されます。人は自己防衛本能から、自我を傷つけずに済むように、失敗や苦しみの原因を自分以外に求めたがるのです。これはいわば、“甘え”でもあり、“責任転嫁”でもあります。
しかし、この構造を維持する限り、人は「真の意味で自由」にはなれません。なぜなら、常に自分の外部に主導権を明け渡し続けることになるからです。
■ 仏教的に言えば、それは「執着」と「無明」
仏教では、「苦」の原因は無知(無明)と執着にあるとされます。
この“何かのせいにしたがる”という心理は、まさに 無明と執着の共同作業 によって生み出されています。◯ 無明(avidyā)とは?
無知であること。具体的には真理を知らず、物事をありのままに見ることができない状態。たとえば、自己が固定された存在であると思い込むことも無明の一種です。
◯ 執着(upādāna)とは?
ある思考、感情、信念にしがみつくこと。特に「自分は悪くない」「誰かが悪い」という物語に執着してしまうと、それが思考の牢獄となります。
そしてこの無明と執着が組み合わさることで、
「Aのせいだ → やっぱりBのせいか → いや、Cが元凶だった」
という 無限責任転嫁ループ が完成するのです。
■ これは十二因縁にも通じている
仏教における「十二因縁」の最初の要素は「無明」です。無明から始まり、行・識・名色…と因果が連鎖し、最終的に老死に至ります。
この連鎖をたどるとき、執着や欲望は当然その過程に含まれます。つまり、
「他者や状況のせいにする心」=「無明から生じた苦しみの連鎖の一部」
と解釈できるのです。
■ スピリチュアル的視点:投影と学び
スピリチュアルな観点では、「自分が見ている世界は自分の内面の投影である」と言われます。
つまり「何かのせい」に見えるその“外の原因”は、実はあなた自身の内側のテーマであり、気づきのチャンスでもあるのです。外に投影された“責任”を、もう一度自分の内に取り戻す。
それが「統合」のプロセスであり、「悟りへの道」とも言えるでしょう。
■ 現代社会とハルシネーションの類似性
人間の知覚や記憶、認識は非常にあいまいで、ある種の“幻覚(ハルシネーション)”とも言えます。
AIも人間のデータから学びますが、それは人間自身が築き上げた「虚構」と「偏見」の集合体です。つまり、人間が「正しい」と思っている判断そのものが、実は“精巧な幻覚”のようなものかもしれないのです。
この点で、「何かのせいにする」という心理もまた、幻想の一部であることがわかります。
■ 脱ループへの道:自己への帰還
このループから脱出するためには、外部への責任転嫁をやめ、内側の原因に目を向けることが重要です。
◯ 仏教で言う「止観」
止は心を鎮める瞑想、観は内省的観察。
自分の心の動きと、その背後にある無明に光を当てることで、ループを止めることができます。◯ チベット密教の観想法
自己の本質(タントラではしばしば「光明」や「空」とされる)に還ることで、幻想(マーヤ)から目覚める技法です。
◯ 心理学における「シャドウの統合」
ユング心理学において、自分が認めたくない影の側面(シャドウ)を認識し、受容することで心の統合が起きます。
これはまさに、「何かのせい」という外的投影を引き戻す行為です。
■ まとめ:甘えから智慧へ
人は「何かのせいにしたがる生き物」である。
それは一種の甘えであり、無明と執着から来るもの。この仕組みに気づいたとき、私たちは 責任を“外”から“内”へと回収することができるようになります。
そのとき初めて、「自由意志」「自己変容」「魂の成長」が始まるのです。
個人的後記
何かのせいにしても、また別の何かのせいにすることになる。
それが無限にループするのである。
何かの問題をひとつ解決したとしてもまた別の問題が発生する。
何故ならきりのないなかなか納得することができない欲望というものが常にあるからである。
だからこそ楽をしようとしたり便利なものを作って甘えたがるのである。
そこで精神性の低下が問題になるがこれもまた解決したとしても新たな問題が生じるであろう。
逆に精神に依存すれば精神依存として問題になりこれも解決すれば同様に別の問題が生じる。
まず物質依存により精神が低下しているのが現代人である。
精神性を高めるために瞑想をオススメする。
心をしっかりと平安を保てるように欲望や潜在意識をコントロールできるようにならなければならない。
そうすれば今まで悩んでいたことがちっぽけなことに思えてくるだろう。
つまらないことで悩んで囚われていたことに気が付くことが第一歩である。
究極はこの世界は自分の生み出した妄想であることに気づきコントロールするつまり観念的になることである。