涅槃とは死ではなく仏教のゴール悟りとは内的な満足感と叡智である【仏教入門・仏教密教・哲学・スピリチュアル・瞑想・禅・マインドフルネス・無常・梵我一如・あるがまま・観念】

2025/01/17


涅槃(ニルヴァーナ)とは解脱して死ぬようなイメージを持たれやすいが、実際は、この世界は無常(常に不変のものが無く変化している)という事を受け入れ苦しみから解放され瞑想により内的な満足感や充足感を得て精神を安定させる境地の事である。
不変であると信じる事はこの世界の現実に逆らう事になり執着を生じさせ煩悩を生じさせ悩み苦しみを生むのである。

無常というあるがままを受け入れるには自我(エゴ)によるエゴイズムを取っ払って冷静に物事を見て判断する必要がある。
つまり無我であり無我になった後の境地が空である。
空とは、なにかあるがなにもない、なにもないがなにかある、いわば色即是空・空即是色である。
全く何もないのではない。
色即是空・空即是色の色とは物質、空とは空想や妄想の事である。

空とはこの世界に実体はないという意味でもある。
もっと言うと空とは無常の事でもある。
無常とは社会的相互作用だと思うとわかりやすい。
全ては相互作用で繋がっているのでひとつであるという意味でワンネス的なものである。
それらは相互作用故に作用しており動的であり変化するものであり不変ではない。
時代と共に全ての物質は変化するものである。
この辺は仏教哲学の領域なので他の記事を参考にして理解を深めていただきたい。

空と無の違いのわかりやすい例えとして、空想がある。
空想は現実ではないが想像としては存在する。
つまりあるように見えて現実ではない。
あるようでない、ないようである、これが色即是空・空即是色とほぼ同じ意味である。
これが空である。

空を知る事は、本来この世界には善悪は存在しておらず人間が勝手に決めた事であり、実体は何も無く空であるという、これは冷静に物事を判断し真実を知る事であると言える。
この空想の空を無にすると無想となり何も想いが無いという意味になる。
つまり仏教とは死を連想させる無ではなく空や因縁や縁起や無常が根本的な教義なのである。
涅槃に至った釈迦は実際死なずに弟子に教えを広めた。
つまり涅槃とは死ではないのだ。
涅槃の状態をやめたいと思えばやめられるのである。
実際釈迦は認知体験があったとしておりその状態で涅槃は存在するので完全な無ではない。
“悟った”という認知体験があったとされている。
即身成仏という言葉があるように生きながら仏に成る事は可能であるのだ。

多様性が言われる現代と共通するのは無常である。
無常である事を受け入れるのはいわば多様性の許容や寛容である。
一旦現実をあるがまま受け入れる事だ。
そして無我になり差別をなくし、冷静に物事を観るのは多様性の多様な理解力つまり悟りによる叡智である。

悟るというのは完全に理解する事である。
この世界を完全に理解すれば悩みも理解し解決方法も理解しそして苦しみもなくなるのである。

空を知り涅槃に至るとは悟る事である。
涅槃に至るには瞑想が必要である。瞑想とは修行で行われる高度なものから日常生活そのものという軽度なものまである。
いつかAIの計算は完結するように我々の人生もいつか完成する。
つまり生きているだけで瞑想なのである。これが全ての人間に仏性があると言われる所以である。

瞑想により涅槃をむしろ得るのであり、失うものは無知や苦しみであることぐらいであり、死ぬことは無いのである。
むしろ涅槃に存在し続けさらにはスピリチュアリティ的には超越できる可能性も残されている。

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