ヤブユムの本当の意味、男性と女性の融合、空間やこの宇宙の正体とは?【チベット密教・非二元論・哲学・スピリチュアル・仏教密教・瞑想・ヨガ・悟り・涅槃・ワンネス・プラクリティ・プルシャ・方便・智慧・完全自由空間・大日如来・あるがまま・無分別智】

2025/07/06


空間とは空の間と書く。
間とはこれとこれとの間、つまり中間を意味する。
これとこれに分別または差別することでそれを識別または観念する。
この識別が肥大化し妄想が生じ煩悩が生じる。
空間とは空の間で、空の中間の事を意味する。
つまりこの世界は空間であり、空であり、空であってなにもないが、空間の中にはなにか空気や物質が存在する。
あるがない、ないがある。
真空もそうである。なにかしらの物質は存在するし空間自体も存在する。
真とはこの区別をひとつにする真理の事でもある。真空とはいわばワンネスである。
ふたつでひとつ。
つまり仏教の空とはそういうことでもある。
この世界が完全自由空間であるならば、その空間という空の間において、観念することで何かが生じ、妄想が生じ煩悩が生じる。
その識別や区別、分別、差別は二元論に陥る。
非二元論(ノンデュアリティ)とは区別をしない分別をしない差別をしないことである。
これらによりバラバラに分断されていた精神や物質は一体となり、ワンネスとなるのである。
それが集合意識でもあり宇宙そのものでもあり大日如来そのものでもあり神でもあり自己の本体でもある。
縁起とはそういう事から生じている。
そしてこのワンネス体験は多幸感が得られたり精神的な平安を得られる。
この世界のなにも意識識別していないものに意識をフォーカスすることで、また観念することでそれらの価値観が見いだされ塵やほこりでも幸福を得られるようになる。
つまりこの観念が宇宙や世界のすべての人間に拡大されたとき、全ての物質や精神において幸福を得ることができる。
これはまさに多幸感であり涅槃であり悟りである。
そして煩悩が滅した自由の境地である。
しかし冷静に見てみるとこの世界が慈悲を持っているように見える。
この世界や宇宙とは、自己という宇宙全てを慰めているようなものである。

チベット密教のヤブユムとは男と女が一体化したものである。

聖天さんもある意味そうである。
ふたつがひとつである象徴であり、性的な行為ではない。
男性は方便(その人に合った表現、顕現、シンボル)で女性は般若(智慧、理性、分別に意味づけ、理解、メタファー)である。
つまり男性はアクティブであり女性はパッシブの関係にある。
男性による表現を女性が理解するのである。
いわばわかりやすく言うと物質と精神である。
男性が物質であり、女性が精神である。
それ故に比喩としてヤブユムが表現されているのである。
プラクリティとプルシャも同じである。これらふたつがひとつになることで真理つまり一体となる。
男性と女性という分別も超える事が本質的なことなので、男性と女性だからどうであるというのは単なる例えでしかないことに注意していただきたい。
そして差別や分別による善悪は観念によって決まる。
これは善悪は観念によって決まるものであり絶対的な善悪はないということである。
つまり完全自由空間を意味する。
この観念や識別をうまく利用する事が般若すなわち智慧である。
それらの一体による非二元性というのがつまるところである。
大事なのは非二元性と観念である。
何故ならこの世界は空であり完全自由空間であり、観念次第であるからである。
この観念が暴走して妄想となり煩悩となり苦しんでいるのが苦しみの原因である。
良い観念をすれば良くなり、悪い観念をすれば悪くなる。
幸福と不幸とはそういう二元性からやってくる。
その他詳しいことはその他の記事で執筆済みなので理解を深めると良いだろう。