我々は観念(ものの考え方)によって全てが変化する。
唯識論からすればこの世界は妄想の世界であり妄想であるからして妄想という観念をコントロールすることによってこの世界を変幻自在に操れるようになる。
簡単に言えば、そうだと思えばそうなるということである。
病は気(気持ち・信念)からという事である。
信念や信心とは信じる事である。
これが観念とほぼ同じ意味であり、信じる事でなんでもそれが現実となるのである。
なんでもである。
空であろうが無であろうが矛盾であろうが観念次第ではどうにでもなると思われる。
その観念を完全にコントロールするには瞑想などが必要である。
何故なら誇大妄想をしているから思い込みが激しくなかなか物理的なものなどが変化しないからである。
この世界はある意味仮想現実的である。
この世界の限界がどこまでなのかは不明だが、完全自由空間が存在するのであればなんでも実現される可能性はある。
時間というのも観念によって生じている。
過去現在未来は全て一つだと認識すればわかりやすい。
4次元と5次元を説明するのにわかりやすい例えがある。
YouTubeの動画を選ぶページが5次元である。
様々な動画という世界線が存在する。
いわばパラレルワールドを選ぶページという5次元である。
様々な世界を移動できる次元だという事である。
そしてその中のひとつの動画を選んでシークバーを動かせば早送りしたり巻き戻したりできる。
即ち過去現在未来を移動できるようになる。
これが4次元である。
そして今この瞬間が3次元である。と仮定というか例えられる。
そして我々はこの3次元空間にVRという2次元世界を作ろうとしている。
そこに映画MATRIXのように閉じこもるのかそれとも現実世界と両方生きるのかはわからないがVRに移行して閉じこもる可能性は高い。
我々が自宅でスマホやテレビを見続けて仮想の世界に閉じこもるかのように。
我々の生命維持を全てAIや何かの装置がやってくれるのならその可能性は高くなる。
車の進化型がスーツタイプの乗り物だと思われる。
このスーツタイプの乗り物はスマホのようなものでウェアラブルコンピュータである。
話がそれたが4次元という時間も観念によって生じているという事である。
自分がどの動画のどの時間の動画を見るかを観念即ち決めつけているのである。
それによって今を観ているのである。
そしてこの時間という枠組みを無くしてしまえば構造体が構成するための時間がなくなるため非構造体となるため新たな世界が見えてくる可能性がある。
それが空なのかは不明だが超越した世界であるのは確かである。
観念がいかに重要なものかよくわかる。
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