はじめに
現実というものを我々は日々体験しています。そして、その中で答えを見つけようと努力します。しかし、その答えにどこか納得がいかない、完全に満たされない感覚を覚えることはないでしょうか。この感覚は、哲学や仏教密教、スピリチュアルな探求を通じて深く考察されています。本記事では、このテーマを多角的な視点から解き明かし、その背後にある心理や真理について探求します。
1. 現実と答えのギャップ:認知科学とDMNの視点
脳科学では、デフォルトモードネットワーク(DMN) が自己意識や過去・未来の思考に深く関与していることが知られています。このDMNが活発になると、我々は「自分」という存在を中心に世界を解釈し、現実を特定の観念に基づいて再構成します。しかし、このプロセスには主観的なバイアスが入り込むため、真実の現実とはズレが生じることがあります。
納得できない感覚の正体
- 脳の限界:感覚や知覚による情報は限定的であり、現実のすべてを捉えることはできません。
- 観念の介入:私たちの答えは、過去の経験や社会的価値観によって形成された観念に基づいています。このため、答えが「本当の真実」と一致しない場合に違和感を覚えるのです。
2. 仏教密教の視点:あるがままと無常の教え
仏教密教では、現実を「あるがまま」に見ることの重要性が説かれています。しかし、私たちは煩悩や執着、さらには妄想によって現実を歪めて捉えがちです。この妄想とは、仏教でいう「存在しないものを実在すると錯覚する心の働き」を指します。さらに、十二因縁の第一段階である無明は、物事の本質を見失う根本的な無知を表します。この無明が、私たちの認識を曇らせ、現実に納得できない感覚を引き起こす原因となっています。また、仏教の核心的な教えである無常は、すべてのものが変化し続けるという事実を示します。これを理解し、無明を克服することが、現実を受け入れる第一歩となります。
納得できない理由と無常の関係
- 無常の理解不足:変化する現実を固定化しようとすることで、現実に納得できない感覚が生まれます。
- 煩悩の影響:私たちの期待や欲望(煩悩)が、現実に対する違和感を生み出します。
3. 哲学的考察:無知の知と答えへの渇望
ソクラテスの言葉「無知の知」は、真の知恵とは「自分が何を知らないかを知ること」にあると説いています。この視点は、答えに納得できない感覚が、人間の本質的な探求心を反映していることを示唆します。
答えの不完全性
- 絶対的な真理への渇望:人間は有限な存在でありながら、無限の真理を追い求めます。このギャップが「納得できない」という感覚を引き起こします。
- 存在の問い:哲学者ハイデガーは、人間を「存在そのものを問う存在」として位置づけました。この問い続ける性質が、納得の欠如を生む原動力でもあります。
4. スピリチュアルな視点:瞑想と覚悟による内的洞察
スピリチュアルな実践では、瞑想が現実をありのままに見る方法として強調されます。瞑想を通じて心の雑念や観念を手放すことで、真の答えが内側から現れるとされています。
覚悟と納得
- 覚悟の重要性:覚悟とは、変化や不確実性を受け入れる心の状態です。これにより、答えに対する納得感が生まれることがあります。
- 直感と内的真理:外部の答えではなく、内なる直感や洞察によって得られる答えが、最も深い納得感をもたらします。
5. 我々はどう向き合うべきか
納得できない感覚は、決して否定すべきものではありません。それは、さらなる成長や探求への呼びかけであり、真理への道しるべでもあります。
対応方法
- 瞑想を実践する:心の静寂を通じて、現実をあるがままに見る練習をする。
- 観念を手放す:答えに執着せず、無常の流れに身を任せる覚悟を持つ。
- 探求を楽しむ:納得できないこと自体を、人生の旅の一部として受け入れる。
結論
我々が現実を見て答えを得ているにもかかわらず納得できないのは、観念や煩悩、そして真理への渇望が作用しているためです。この感覚は、否定するものではなく、真理への扉を開くための鍵といえるでしょう。瞑想や哲学的思索を通じて、この感覚を探求することで、より深い納得感や覚悟が得られるはずです。
納得できない現実をどう受け止めるか。その問いが、私たちの精神的成長の始まりなのです。
私見仮説
我々は本当は現実世界を知って感じてぼんやりした時DMNで全てを知って解っているが、全てを知るが故にすぐに飽きて忘却(クリア)しぼんやりしないで元に戻りまた無知となり欲望によって知る事を欲するので貪り妄想が生じ煩悩が生じ苦しみが生じているのかもしれない。
そして機械や家電など便利な世界で甘やかされていて自由故に調子に乗ってしまうのかもしれない。
瞑想とDMNの関係性は何か考えられる。
逆にDMNが瞑想によって活動が抑制されるなら瞑想によってDMNをコントロールしている。
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