この世に全く同じものは存在しない。
全ては多様でバラバラである。
しかしそれは観念によるものだとしたらどうだろうか。
観念によって分別が決まるのであれば、全てはバラバラに分別される可能性を秘めている。
たとえば今存在している静止物が時間が経過する故にもうすでに現在は過去であるが故に以前と全く同じものとは言えない。
つまり刹那に変化しているが故に全く同じものは存在しない。
そうなると我々の規定や法律、既成概念は変わってくる。
これはこうだとしているものが実は観念によって自在に変化するのである。
法律や社会通念や定義を"定める"という不変のものにすることが不可能なのである。
多様性を認めるのであれば様々なバラバラであるものや概念を受け入れる必要があるが、寛容のパラドックスが生じてくる。
相互理解やワンネスで解決できるが現実問題すべての人間や生命がそれに至るには無理な部分が多い。
そもそもなにかがこうであるとかこうであるべきだというのは二元論的な考えである。
二元論は差別や分別をしてしまい、なにがなにであるかを決めつけてしまう事になる。
さらには我々は真実の世界を見ることはできないし無限の全てを知る事もできない人知の限界がある。
無常つまり常時変動のこの世界において無知である我々が何かを定める事は変化し続けているし多様でバラバラな観念を持つ我々にとってナンセンスである。
意味を持たせようとしてもそれ自体本質的に真理的にも真実ではなく妄想になるからである。
つまり多様性の相互理解も妄想を妄想で理解しようとする悪循環が生じてくる。
不変のものはないので理解してもまたさらに問題や煩悩は変動して生じてくる。
仏教の空の境地や涅槃では非二元的なものかそれさえも超越した境地である。
妄想や無知を超えた先に真実や真理がある。
ミュンヒハウゼンのトリレンマや地球外生命体の多様性を考慮すると、これからの時代的にも将来的にもこういう点はクリアしておかないといけないだろう。
この世に全く同じものは存在しない。刹那に変化する観念による定義について【哲学・スピリチュアル・仏教密教・瞑想・悟り・涅槃・ワンネス・縁起・カルマの法則・無分別智・差別・多様性・寛容のパラドックス・物質依存・精神性の低下・既成概念・常識・法律・社会通念】
2025/07/23