意識レベルが低い状態だと世界は幻覚のように変容する。
逆に意識レベルが高いと世界は厳格な物理法則で固定化される。
変容が少なくなってくる。
つまり意識レベルが最大にまで高められたとき、全ては不変のものとなる可能性がある。
ここでいう不変のものとは空の事を意味しているともいえる。
不変であるが可変である。動いているが動いていない。あるがない。あるがまま。
まさに空であるが、この空は不変とされがちである。
実際は空自体も可変である。というかどちらでもない。
不変でもあるし可変でもある。それが空自体もそうである。
これは言語や思考の限界でもある。不立文字である。
だからこそ言語や思考に頼らない瞑想が重要になってくる。
ただ言語や思考が不必要かというとそうではない。
瞑想のサポートとして活用可能である。
そこで仏教哲学や経典がある。
我々は思考していても哲学的にミュンヒハウゼンのトリレンマのように完全に答えは出せない。
哲学的に哲学に意味がない事を証明してしまっている。
意味がないと言うと語弊があるが輪廻転生や妄想の妄想を永遠とループすることになる。いわば循環論法に陥る状態。
ここから抜け出したいのならば瞑想することになる。
そこで完全に自由な世界、完全自由空間に至る。
そしてこの世界で重要になるのは観念である。
何故なら完全に自由であるが故に自業自得で地獄のような世界に落ちる危険性があるからである。
だからこそ様々なマンダラや仏や菩薩が存在する。
このマンダラや仏が観念のサポート、正見のサポートとなっている。
つまり正しい観念の仕方の種類がマンダラや仏の種類となっている。
だからこそ仏に帰依することが重要なのである。
そうでなければ常人は自業自得で異界や魔境を彷徨うことになるだろう。
それはまさに精神病の世界、統合失調症などの症状、禅病に近いものとなる。
そうでなくても我々は妄想による煩悩があり苦しみが少なからずある。
この現実世界も同様なのである。この現実世界が完全自由空間の中にあると言ってもいいかもしれない。
正しい瞑想で正しい観念や見方をする事が大切なのである。
ではなにをもって正しいか。
それは自分次第である。
自分の観念次第でなにが正しいか正しくないかという妄想という観念が決まるからである。
この世界は妄想であるからして妄想で制する。
つまり観念が全てである。
このブログで散々述べてきたことである。
意識レベルは現実世界を変容させる。意識レベルMAXの時何が起きるのか?瞑想と帰依の重要性【完全自由空間・観念・哲学・スピリチュアル・仏教密教・瞑想・ヨガ・ワンネス・中観・空観・涅槃・解脱・ニルヴァーナ・輪廻転生・観想・妄想・無限ループ・無限後退・ミュンヒハウゼンのトリレンマ・不立文字】
2025/09/19