善と悪の対立や摩擦は観念次第で美にもなる。観念の重要性と悟りについて【哲学・スピリチュアル・仏教密教・瞑想・ヨガ・ワンネス・無常・ニルヴァーナ・大日如来・真如・如実知見・無分別智・あるがまま・禅・空観・中観】

2025/12/30

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真如とはこの世界のことである。
この真如つまりこの世界と一体化した時大日如来と一体化したと言える。
大日如来、つまり宇宙との一体化、ワンネス的なものであり悟りである。
大日如来などの如来とは真如から来た者という意味である。
つまり大日如来=宇宙や世界そのもの全てである。
悟りとはこの世界とどう関わるか、応じるかであり、臨機応変に応じる事でもある。
いわばあるがままでありあるがままで世界は成立している。
自然を感じて楽しむアウトドアなどでそれは身近に感じられる。
深い瞑想ではそれを意図的にまた強く超越的に感じられる。

美とは対比や差異によって生まれる。
白と黒のコントラスト。明暗対比はデザインの美の基本である。
そして彩度対比、大きい文字と小さい文字、過剰装飾とシンプルデザイン。
それらが複雑に重なり合って調和されたものが美しいデザインである。
これらの対比は摩擦でもある。
摩擦というと対立的なものであり美と真逆である。
しかし対比とはいわばギャップを楽しんでいるのである。
ギャップつまり違い、差異、対比である。
この対比する陰と陽、+と-、0と1は両方合わせて±0になる。
というより厳密には空になる。
0ではないが1でもない。しかしそこにはなにかあるという状態。
プラスもありマイナスもあるがそれら両方が重なり合うと波は打ち消され±0となる。
両方つまり全てがあるが±0である。
それが空のわかりやすい例え話である。
真空とは仏教用語であり、現代的にも真空状態は空気はないがそこに物質は存在する。
ないがある。あるがない。その対比で出来ているのがこの世界、つまり真如である。
対比を楽しむというのはこの世界との摩擦を減らす事である。
対比自体を否定しているのではなく逆に肯定しているのである。
肯定、つまり摩擦を減らすことである。
言い換えれば対立をなくすことである。
ここがポイントである。
この世界は本来陰と陽、+と-で対立するものである。
対立するものは美とは真逆である。
この対立する世界を対立させない、むしろ対比させる事で摩擦をなくすことができるのである。
それは観念や瞑想によって可能である。
その時対立や対比は美しく感じるのである。
つまりこの摩擦をなくす、世界や宇宙の全てを受け入れると全ては対比して美しくなるのである。
それが悟りでもある。
単純な話、違いを楽しんでいるのである。
本来対立は醜いものである。しかし観念次第では美にもなる。
アンパンマンが善ならバイキンマンは悪である。
この善悪の対比があるから面白いのである。
現実問題、戦争は現実で起きると醜いが、漫画や映画やゲームの中では観念して観ているわけである。
作品を、世界を観る想念、略して観念である。
全ては観念次第である。
ちなみにこの文章、論文は方便でしかなく観念によっていくらでも変容、解釈可能である。
これが正解というわけではなくあなたの判断、観念次第であることを付け加えておく。
人間のバイアス的言語的厳密性を求めるならAIを参考にしたほうが良いだろう。

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