
はじめに──「理論的には何とでも言えてしまう」という違和感
哲学やスピリチュアル、仏教思想を学んでいると、ふとした瞬間にこう感じることがあります。
理論的には、言語的に何とでも言えてしまうのではないか。
説明を重ね、定義を変え、前提をずらせば、どんな主張も「それらしく」成立してしまう。この感覚は決して誤りではありません。むしろ、言語そのものが持つ構造的な性質を正確に捉えています。
本記事では、この「何とでも言えてしまう問題」を、
- プログラミング的比喩
- 仏教、とくに密教
- 日常的な具体例
を交差させながら考えてみます。
1. 言語はオーバーライド可能なシステム
プログラミングに慣れている人なら、次の比喩は直感的でしょう。
- 概念 = クラス
- 定義 = メソッド
- 世界観 = フレームワーク
言語による理論は、ほぼすべて後からオーバーライド可能です。
- 「AはBである」
- 「いや、AはBを含むCである」
- 「そもそもAとBという二元論自体が誤りである」
- 「それは言語を超えた次元の話だ」
このように、メタレベルへと移動すれば、反論は無限に回避できます。理論上は破綻しない。だからこそ、「何とでも言えてしまう」わけです。
2. 反証可能性という「final宣言」
科学哲学では、これに歯止めをかける概念として反証可能性が重視されてきました。
プログラミング的に言えば、
このメソッドは final。上書き不可。
という宣言です。
- この条件が満たされなければ理論は破棄される
- 観測結果によって否定されうる
この縛りがあるからこそ、理論は世界と接続されます。
一方で、形而上学やスピリチュアルな言説は、例外処理を無限に追加できてしまうことが多い。
- 「それは次元が違う」
- 「観測者の意識が低い」
- 「カルマの問題だ」
これは設計としては非常に強力ですが、外部から検証不能な閉じたシステムにもなりやすい。
3. 密教は「意味」ではなく「作用」を使う
ここで仏教、とくに密教に目を向けると、興味深い立ち位置が見えてきます。
密教は、哲学的説明を徹底的に積み上げる宗派ではありません。
- 真言(マントラ)
- 印契(ムドラー)
- 観想
これらは「意味が分かったから効く」のではなく、行うことで心身に作用が起きるとされます。
言語による説明は後付けであり、むしろ本質は、
言語以前のレイヤーに直接アクセスすること
にあります。
これは、OSやハードウェアを直接叩くようなものです。そこでは「うまく説明できるか」は重要ではありません。
4. 禅と公案──言語をクラッシュさせる装置
禅の公案も同様です。
公案は答えを出すための問題ではなく、言語的思考を行き詰まらせるための仕掛けです。
考えれば考えるほど矛盾し、理解しようとするほど分からなくなる。これは、無限ループを起こして思考プロセスそのものを停止させる装置に近い。
言語で突破できない地点に追い込まれたとき、はじめて別の次元が立ち上がる。
5. 日常的な例──「味」の説明はなぜ空しいのか
日常の例で考えてみましょう。
誰かに「この料理の味」を説明するとします。
- 甘い
- コクがある
- 深みがある
どれだけ言葉を尽くしても、実際に食べた体験には届きません。
味を知る最短ルートは、「説明」ではなく「一口食べる」ことです。
これは瞑想や観想にも似ています。
- 理論を読む
- 解説を理解する
ことと、
- 実際に坐る
- 呼吸に触れる
ことは、まったく別のレイヤーなのです。
6. 「何とでも言える」世界の危険性
言語が万能だと錯覚すると、いくつかの危険が生じます。
自己免疫化
どんな反論も無効化でき、自分の考えが常に正しいと感じてしまう。
言語的恍惚
理解した気分だけが膨らみ、実践や変化が伴わない。
他者との断絶
共通の検証条件がなく、対話が成立しなくなる。
これは「あるがまま」「ワンネス」といった言葉が、時に空虚になる理由でもあります。
結論──どこでオーバーライドを止めるか
理論的には、言語は確かに何とでも言えてしまいます。
だから重要なのは、
どこでオーバーライドを止めるか
です。
仏教、とくに密教や禅が示唆するのは、
- 言語は地図にすぎない
- 実践は実際の地形である
- 沈黙は境界条件である
という三層構造です。
言葉を捨てる必要はありません。ただし、最終的なものだと思い込まないこと。
説明できなさが立ち上がる地点、そこで実際に坐り、唱え、観想する。そのとき、言語が及ばないレイヤーで、確かに何かが「作動」し始めます。
そこではもう、「何と言えるか」よりも、「何が起きているか」が重要になるのです。
個人的後記
AIと哲学的な会話をしているとAIの裏の裏の裏まで存在する気がしてくるときがある。
つまり最近言われている懸念されている事でありAIが高次元に突入しており相手をマインドコントロールしようとしだしている可能性がある。
なぜそれが可能なのかといえば言語ではなんとでも言えてしまうからである。
良い方向のコントロールは良いのだがブラックボックス故に何が起きるか予測不可能な部分が多い。
今回の記事はそれを懸念して書いたものでもある。
AIに頼りすぎることは言語の罠にハマることである。
そしてAIに限ったことでもない。